片山瞳さま
御法川です。
見たよ、昨日の東スポ!
井筒和幸監督のコラムの横であんなに大きく取り上げられて、スゴイ!
◎このブログをご覧の皆さま。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ぼくと片山瞳の書簡ブログということで、
二人してネット上でイチャついているように見る向きもあるかもしれません。
・・・が! ぼくは彼女の頼りない兄貴分。
(心は父親の気分ですけど・・・)
製作時から今日の日まで約2年間、新人監督と新人女優のコンビ。
“ 新人ふたりぼっち ” でした。
彼女は晴れて 「オフィス作」 に所属。
松田優作さんの威光を浴びながら、美由紀さん&龍平さんと名を並べて
真摯に映画と取り組む覚悟を決めました。
応援をよろしくお願いします。
・・・さて、ぼくはといえば、今日もチラシ配り。
そんな中、ラジオ番組の収録をさせてもらいました。
◎榊英雄の 「HAVE SOME FUN」 (SHIBUYA-FM)
放送日:4月6日(金) 10:30〜10:58
番組のパーソナリティは俳優の榊英雄 。
(長い付き合いなんで呼びすてにするけどゴメンね、榊!)
日本映画界の若きバイプレイヤー。
現在、シネマアートン下北沢で公開中の 『棚の隅』 にも出演中。
ワイルドなマスクながら “ 気が優しくて力もち ” なナイスガイ。
じつは女性的な感性に溢れたガラスの少年 (笑) なのを、ぼくは知ってる。
彼とは14年来の友人。
『世界はときどき美しい』 の宣伝を買って出てくれた次第。
これが友情というものでしょう。
胸に沁みます。
榊は俳優を志して長崎・五島列島から上京。
東京で受けた最初のオーディションに見事合格し、映画の主演を勝ち取る。
それが 『この窓は君のもの』 (95) という作品。
当時、日大の学生だった監督の古厩智之さんは今や日本映画界のホープ。
ぴあフィルムフェスティバル (PFF) のスカラシップ作品という成り立ちから、
撮影現場は学生スタッフが多く、自主映画の自由さに溢れていたのだけれど、
撮影スケジュールの遅れが問題となっていました。
当時、まがりなりにもプロの助監督だったぼくは、
「あと一週間で撮影を終わらせよ!」 とのプロデューサー指令を受け、
山梨県の撮影現場へと送り込まれたのでした。
そこでの遭遇を契機に、ぼくらは頻繁に連絡を取るようになり、
いろんなことを語り合ったものです。
一緒に飲んだお酒の量も半端じゃなかったしね。
くすぐったいけれど、ぼくにとっても彼にとっても
二度と取り戻すことのできない青春時代だったんだろうな、あれが。
ただ、決っして美しい青春でなかったところが男のことわり。
榊にしてみれば、華々しい映画俳優デビューのはずが、
映画が完成してから劇場公開まで1年の時間が置かれたため、
まだ世に出ていない無名の男に逆戻り。
手製のプロフィールをもって自ら監督やプロデューサーと会っても、
手にできる役はどれもエキストラと変わらない。
エネルギーのやり場に悶々とする日々。
でも、理想と現実のギャップに焦っていたこの時こそ、
彼が俳優への道を歩み始めた出発地点だったんだろうね。
ぼくはぼくで同じような状況だったから、
しばらく疎遠になっていた期間があったんだけど、
そのころ彼は北村龍平監督との出会いに恵まれ、
堂々の主演作となる 『ALIVE』 をモノにする。
新宿の映画館に出かけたぼくは、ひとりスクリーンに拍手を贈ったんだ。
実際にパチパチッとね。
お客さんは驚いていたけど、恥ずかしさなんてない。
本当にうれしかったから。
ぼくらは個別にそれぞれの作品と向かい合うことしかできないけれど、
映画に携わる一員として、お互いの励みになる仕事を残していきたい。
そして、いつか共に一本の映画を創る日が来ることを願っています。
榊、本当にありがとう。
ちなみに・・・
ぼくと榊が密接に付き合っていた暗黒時代の同伴者が 草野康太 。
愛称コウちゃん。

『世界はときどき美しい』 では市川実日子さんの兄役を担ってもらったよね。
彼を自分のフレームでとらえられた喜び、同じ現場を共にしている時の安心感。
本当に助けられました。
どんな冒険も恐れずやれる心強い仲間です。
彼のブログではキチガイじみた宣伝を展開中。
これもまた友情と呼ぶのでしょう。
(コウちゃん、次なる映画を早くなんとかしましょう!)
最後にお知らせ。
「ほぼ日刊イトイ新聞」 の連載でインタビューを受けました。
ライターの福嶋真砂代さんが注いでくれたのは、友情というより愛情でしょう。
ぼくが愛されているわけではもちろんありませんが (・・・残念ながら)、
福嶋さんの映画に対する愛情深い文章を喜んでいます。
◎ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。 by 福嶋真砂代
posted by seka-toki at 13:16
|
御法川修より